錦川鉄道

JRと私鉄が相互乗り入れしている例は枚挙に暇(いとま)がない。国鉄民営化に伴い第三セクターとなった青森の「青い森鉄道」や岩手の「いわて銀河鉄道」などは昔はれっきとした東北本線であったので、接続していないと在来線で青森まで行くことが出来ないのである。旧国鉄の路線に限らず、日光線で競合する東武線はJRの新宿まで乗り入れているし、小田急線はJR御殿場線に乗り入れるだけかと思いきや、地下鉄千代田線に乗り入れているので霞ヶ関、日比谷、北千住と東京の東の端まで走っている。

京都に眼を転じれば、天橋立に向かう京都丹後鉄道が旧国鉄の線路を走っている。また、大阪では阪急千里線に乗っていると天神橋筋六丁目の先は地下鉄堺筋線になる。私は動物園前の駅で地下鉄を待っていて、あのマローンブラウンの車両が入線してきた時に腰が抜けるほど驚いた。阪急京都線もこの地下鉄に乗り入れているのでお試し頂きたい。

逆に旧国鉄ながら、東海交通事業城北線はJRが乗り入れを拒んでいるという興味深い特別な例もある。また、伊豆急行は当時の国鉄と相互乗り入れをするために線路幅を変更しているし、京成電鉄も線路幅を拡げる大工事をしている。おかげで、羽田空港と成田空港は。京浜急行・地下鉄浅草線京成電鉄と一本の線路でつながることになったのである。

さて、山口県の岩国に錦川鉄道という私鉄がある。錦川清流線という盲腸線が一本しかない鉄道であり、旧国鉄岩日線(岩国・日原間)が第三セクターの経営となった路線である。万年赤字で2025年から存続協議が予定されていることはさておき、この路線の乗り換えはJR岩国駅なのであるが、路線はその二駅先の川西駅からとなっている。そして各種の情報によるとJRの各駅で錦川線の切符を購入できるとある。旧国鉄のコンピュータシステムで今もJR各社で使用されている「MARS : Multi Access seat Reservation System」に登録されているので当然といえば当然である。

そこで渋谷駅西口のみどりの窓口でその切符を買おうとしたが、システムに駅名が出てこないという。駅員さんと押し問答しても仕方がないので、そこから山口県錦川鉄道に自分のiPhoneで電話した。自腹で30秒22円なのは痛いが仕方がない。

電話に出た若い女性社員は「JRの各駅で買えます。」と即答。「日本全国どこでもですか?今、東京の渋谷駅から架けているのですが、ダメのようです。」と返事をすると「ちょっと、お待ちください」の後に中年男性社員が電話に出てきて「MARSには登録されているのですが、JRでは広島駅から岩国を挟んだ徳山駅の間だけでしか買えません。」と明解なお答えを頂いた。

高齢になっていきなり「乗り鉄」趣味を始めた私にとって面倒な点のひとつが、JRと私鉄の乗り換え問題である。旧国鉄第三セクターになった場合には、ホームを共有している場合もあって乗換用の改札口を作らない駅もあり、逆に昔は一緒の国鉄で今も跨線橋を共用しているのに改札口を別々に設けている駅もあるのである。

また、新横浜駅で購入した切符は、新宿駅では払い戻しが出来ないのである。新横浜駅みどりの窓口JR東海の経営、新宿駅のそれはJR東日本の経営だからなのである。さらにスマホ座席指定券や乗車券を予約したり購入できるアプリがあり、みどりの窓口に並ばずに指定変更が発車時間寸前までできて実に便利なのだが、これもJR各社が別々のアプリを作成して運用しているのである。JR北海道からJR九州まで別々のアプリをUSERにインストールさせて、しかも使い勝手が丸で違うのは如何なものであろうか。

SuicaやICOCAは、投資ができないローカル線を除いて全国共通の仕組みになったのに、なぜ切符アプリが共通化できないのか実に不思議である。

私が交通公社の社長だったら全国のJR各社を横断して切符の予約や購入ができるアプリを作らせて世に問うのであるが、如何であろうか。飛行機の便なら各社横断して購入できるネットのサービスがあるが、JRはどうなのだろうか。

ここからは余談の(実話)コーナーです。

渋谷駅で切符を購入するのに50分かかった。鳥取から山陰線、境線、木次線伯備線芸備線福塩線に乗り、広島に出て可部線呉線(私鉄は省略)に乗る切符で、予め乗車券、特急券の表とルートを書き込んだ路線図を用意しているのであるが、大抵の場合は今回の錦川鉄道の切符が発券できないというようなトラブルが起きるのである。

そして、隣の窓口の男性の会話がなんとなく耳に入った。

「明朝は早くてみどりの窓口が開いていないのですが、明日乗る乗車券は買えるのでしょうか?」

「帰りの新幹線の特急券は車内で買えるのでしょうか?」

「帰りの切符も買いたいのですが、日にちが未定なのでどうしたらよいでしょうか?」

読者のみなさんは旅慣れているのであれれと思うのでしょうが、世の中には色々な人が居る者だなあと思った次第です。