琵琶湖疎水クルーズ

京都好きの読者諸兄におかれましては、琵琶湖疏水と聞いてどんな風景を思い出すでしょうか。平安神宮に至る神宮道の左右に広がる水路、哲学の道の水路、南禅寺水路閣、桜のインクライン、蹴上にある日本最古の水力発電所などでしょう。そして、それらの水は琵琶湖から人工の水路「疏水」を通じて流れてきたのであります。

この春に、琵琶湖疏水クルーズを楽しんで参りましたので、そのご報告と疏水のあれこれを語っていきたいと思います。禁門の変蛤御門の変)で丸焼けになった上、明治の東京遷都により京都は寂れてしまい、その復旧を意図して琵琶湖から京都まで水路を引くという計画が立てられました。鉄道のない時代、しかもその後に東海道線が全通しても当時は一日一便という状態ですから、鯖街道の逸話で有名なように馬か人力が主な輸送手段だったので、琵琶湖と京都を船で繋ぎ、加えて流水の勢いで水車を回して灌漑するというのが目的でした。

まず、琵琶湖と京都の高低差は約40mあり、その落差をそのまま水路に当てはめると急流となって船を運行することはできません。そこで、水路の落差は4mとして、京都の蹴上のところで運搬船ごと台車に載せて、残りの36mを上下させるというのがインクラインなのであります。インクラインとは斜面とか勾配という意味ですから、なるほどですね。

話は脱線しますが、インクラインを降りた場所、南禅寺の西側に広がる別荘街には山縣有朋をはじめとして今でも著名人の邸宅が広がっておりますが、初期の計画では南禅寺から取り上げた門前の広い土地は工業団地にするという計画があったのです。今様の言葉でいうとデリバリー手段である疏水と需要家である工業団地は一体化して計画されていたのです。

さて、この疏水を設計したのは若干二十一歳の男で、まずは京都疏水を作るとどうなるかという論文を作り、賛同者を募り明治政府の力を借りて1885年に着工して約8kmの疏水を5年で完成させています。そして外人のお雇い技術者を一切使わず、ブルドーザなどの重機もない時代に手掘りでトンネルを穿ち、工期短縮のためにトンネルは両側からだけでなくトンネルが走る山の上から立坑を掘って、そこから横に掘るという工夫もしております。京阪電車で三条と大津の間を乗ったことがある方なら、山坂の急峻なことをご存知でしょうから、そこに立坑を掘る困難さは想像がつくかもしれません。この立坑は掘るのに196日かかったというから驚きます。

前置きが長くなりましたが、疏水クルーズは春と秋の景色が好い期間だけインえーネットで予約を受け付けております。そして水路幅が5m弱なので、船は小さくて乗客は10名、船頭さんとガイドが乗って定員12名。クルーズの代金が高いのは船の定員が少ないことも原因ではないでしょうか。客席は水路の左右を眺められるように進行方向に対して横向きになっております。また、羽場が狭いので安定性が悪く、乗船時も一人づつ乗り込むように促されます。

私が予約できたのは季節の終わりの最後の一枠だったのですが、これが幸いして眺めの良い最後尾の席を当てがわれました。そして。京都側からの上りが35分、琵琶湖側からの下りの便が50分かかります。なぜ、上りの方が短い時間なのかは現地ガイドさんが説明してくれるので、是非ともクルーズを予約されることをお勧めいたします。

さて、蹴上の駅から少し国道に沿って坂を上り、インクラインの上側の終点まで来ると、そこに船着場があります。季節は春、インクラインには琵琶湖の水は流れていませんので、船着場の横にあるトンネルへ花筏ハナイカダ)となって吸い込まれて行くのが季節を感じさせます。乗船するとヤマハの室外機がうなり、出発。すぐにトンネルに入ります。もちろん昭和の補強はありますが、山科に作った工場で焼いた煉瓦を積んで水路の壁やトンネルの内側がそのまま残っております。

そして、トンネルの出口と入口には扁額(へんがく)があって、山縣有朋西郷従道をはじめとして当時の重鎮による揮毫がレリーフとなっております。季節の描写あり、漢詩あり、成せばなるというような意味の言葉もあって明治20年代の人々の気宇壮大な気持ちになって参ります。

トンネルを抜けるとそこは桜の園、散りはじめの老木や青紅葉に目を奪われます。途中には洛東高校があり、そこの桜も見事ですが、卒業生には「柔道一直線」でお馴染みの近藤正臣さん、オセロの黒い方で色々とあった中島知子さん、渋い俳優の小林薫さんがいるとのガイドさんの説明に時代の流れを感じたのであります。

また、山科の桜の名所である毘沙門堂に向かう坂道の途中にある橋をくぐったり、日本最古のコンクリート製の橋の下を通ったり、興味深い見所もあります。中でも琵琶湖疏水を遮断する水門が途中にあることには驚きました。あの東北大震災の教訓を得て作られたそうであります。滋賀県民が京都府民に対して、「なんなら琵琶湖の水、止めてまうで」という有名な脅迫の文句がありますが、水門は京都府の持ち物でありますので、京都の方は安心していただきたいと思うのであります。また、琵琶湖疏水の両側は滋賀県に入っても京都府飛地というか持ち物なのだそうであります。

さて、終点は三井寺の麓の琵琶湖近くであります。水路は続いているのですが、ここに大きな仕掛けがございます。琵琶湖の水位は一定ではありませんので、そのままにしておくと水位が上がると急流になり、下がると船の底が疏水の底についてしまいかねません。その大きな仕掛けとは閘門です。水位の違う疏水と琵琶湖の間に船を通す仕掛けで、船のエレベータと言い換えても良いかもしれません。詳しくはググって下さると幸いです。水路を塞ぐ巨大な遮蔽板が2枚あって、それを最近まで人力で上下させていたというから驚きです。(歯車を使って人の弱い力でも動く設計です)

https://www.shiga-bunkazai.jp/shigabun-shinbun/best-place-in-shiga/%E6%96%B0%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%90%8D%E6%89%80%E5%9C%96%E4%BC%9A%E3%80%80%E7%AC%AC62%E5%9B%9E/

今回はこの閘門の前で船を降りるクルーズだったのですが、今年の秋は琵琶湖側からこの閘門を抜けて疏水を下ってみようと思うのであります。高いけどコスパは抜群です。秋の予約は8月中旬から始まるのでお忘れなく。