広沢の池

広沢の池で「鯉揚げ」が始まった。これは、池の水を抜き、養殖している鯉を収穫する行事である。関係者が泥田と化した池の中に大型の計りを設置して、プラスチックのザルに入った鯉の重さを測っている動画がネットに投稿されている。この作業は大体12月初旬に行われ、鯉の収穫だけでなく、「池干し」も兼ねている。これを怠ると持ち込まれた外来種の魚の繁殖を許したり、沈殿した汚泥による水質の悪化を招くのである。

些か脱線するが、東京郊外吉祥寺駅近の井の頭池では、長期間に亘ってこの「池干し」別名「掻い掘り」を怠っていたため、水鳥のカイツブリの幼鳥が育たない・・・外来種の肉食魚に喰われるという現象が顕著になり、2014年から定期的に「池干し」が実施されている。その結果、魚だけでなく、絶滅危惧種の日本古来の水草も復活したとの報道がある。

何はともあれ、周囲1.3キロの池が遠浅の潮干狩りの海岸のようになり、上流の清滝川の流れがわずかに細く蛇行している光景は見事である。

http://osumituki.com/hack/kyotokanko/unexplored-region/85356.html

さて、広沢の池は、別名「遍照寺池」とも呼ばれ、その寺の開山である寛朝僧正が開削したと伝えられている。池の中には観世音菩薩を祀る観音島があり、その周囲には多宝塔、釣殿など数々の堂宇を誇る大きな寺院であったが、創業者の死とともに衰え、復興の兆しもあったが応仁の乱で焼け、幕末に近い頃に復興されて今の形になったようである。会社でもそうであるが、一代で築いた叩き上げの社長が薨ると、後継ぎが余程頑張らないと事業は続かないものである。

因みに、寛朝僧正は朱雀天皇の命を受け、千葉県で「平将門の乱」の平定祈祷を実施し、たちまちに乱は治ったという。そして、その祈祷場所が後の「成田山新勝寺」になったと伝えられているので、歌舞伎で「成田屋」と掛け声のかかる市川團十郎海老蔵はここに足を向けて寝ることはできない筈である。

広沢の池の南側を走る道路の南側は急な坂になっていて、この道は人口のダムの上に走っていることに気が付く。そして、池から南へ細い路地を数分歩くと現在の遍照寺に辿り着くが、敷地も堂宇も驚くほどこじんまりとしている。それに比較して、成田山新勝寺は御本尊を江戸に度々巡業「出開帳」させてプロモーションを怠らなかったことや、旅行を禁じた江戸幕府に対して、庶民が「参詣」と称する旅行に最適の立地であったこともあって現在の隆盛を誇るのである。

冬の風物詩が「鯉揚げ」なら、春は桜である。池の辺の東側に広がる「平安郷」はある宗教法人の持ち物であるが、時期になると一般開放されていて実に見事な庭園を見せて頂けるのである。教祖様がこの地を気に入られ、「京都にも地上天国を」とのお言葉を下されたそうで、土地の入手が昭和二十七年ということであるから、庭園の設計も昭和生まれの我々に馴染むどこか近代的な匂いのする庭園である。相国寺から譲り受けた大楠、白川郷から移築された古民家など歴史を感じさせる見どころもあって、是非とも立ち寄りたい場所なのである。

大沢の池の周囲を飾る桜は平安時代を想起させて見事であるが、広沢の池端の桜は何か新しさを感じさせるものがあると言えよう。

http://www.heiankyo.org

そして、夏。五山の送り火が如意ヶ嶽の大文字から順番に灯り、最後の嵯峨野の鳥居形の炬火が並ぶ景色は観光客も少なく、家々の家族が道端に出て静かに見上げ拝む後ろ姿を眺めるだけで京都に来た甲斐がある。そして、鳥居形は広沢の池の東の岸から望むことができるのである。早めに来れば貸しボートに乗って拝むこともできる。

そして、灯籠流しである。池に流れ込む流れは西北側にあるが細い流れであるので池の面に流れはなく、灯籠は風の向きに流されていく。私が訪れた時は、南から北へ風が流れていたようで、灯籠は南側の児神社から送り人の手を離れて、池を渡り北の山際に集まっていく。あたかも魂が西国浄土へお戻りになるようであった。屋台は出ていたが観光客の賑わいはなく、灯籠を流すのは地元の民草であるから咳(しわぶき)一つ聞こえない静寂の世界で、観光客の私は場違いのような居心地の悪さと荘厳な光景への畏怖を感じたのであった。

 

最後が秋である。池畔北側の遍照寺山はそれなりに紅葉するが、京都には数えきれないほどの紅葉の名所があり、さらに北山ユース常連だった読者各位におかれてはとても目が肥えているので、特筆できるような景色ではない。ところが、西側に「地上の天国」として計画された「平安郷」の池端に並んだ紅の色の帯は実に呼吸が止まるような見事さである。恐らく、計画当時から宗教法人の資本力を背景にして、鮮やかな紅色に染まるモミジを全国から集めてたに違いない。ここだけは必見である。

夏の灯籠流しは五山の送り火とほぼ時間が被る。また、広沢の池は交通の便が悪く、それだけに俗塵に塗れておらず静かな祭事が続けられている。但し、宇多野ユースからは徒歩圏内なのでご興味のある方はそちらに宿泊されては如何であろうか。