横浜の京都

横浜は明治期に外貨を稼ぐための生糸輸出港として栄えました。八王子と横浜を結ぶJR横浜線は生糸を運ぶために敷設されましたし、東京のJR山手線の池袋から目黒を通る西側の線路も生糸運送のための路線でした。世界遺産となった富岡製糸工場も国を挙げての外貨獲得ストーリーの一編だったわけであります。

そして、モノが動くときは、カネも動き、財を為す人物も出てきます。この生糸の豪商に娘婿として入籍したのが三渓園創始者である原三渓であります。彼は美術に深い興味を持ち、横浜の南にある五万三千坪の別荘の敷地に、廃仏毀釈によって廃寺となった大徳寺塔頭にある仏殿や、奈良や鎌倉の寺の本堂、三重塔も移築します。それだけでなく、新たに建物や茶室も作ります。昭和十三年の彼の没後も住宅や寺院の本堂などの移築が続けられて、平成十九年には国の指定名勝となりました。

さて、ここの敷地面積は五万三千坪ですが、平安神宮全体のそれが二万坪、日本庭園に限ると一万坪であるので、三渓園の巨大さが想像できるのではないでしょうか。また、平安神宮が平らな土地を使っているの対して、三渓園は大きな池を擁しながら、山の斜面を巧みに取り入れて谷川、小川を形成して橋も多く架けられていて変化と深みのある景色を造っているのです。

[caption id="attachment_6483" align="alignnone" width="225"] 谷川の先に聴秋閣を望む[/caption][caption id="attachment_6486" align="alignnone" width="300"] 大池[/caption][caption id="attachment_6484" align="alignnone" width="300"] 高台寺の観月台を思い起こす亭樹[/caption][caption id="attachment_6482" align="alignnone" width="225"] 橋詰より亭樹を望む[/caption]

正門から入り、左右に池を眺めながら築堤の上を歩いて行きますと彼の住居となっている「鶴翔閣」という藁葺きの二百九十坪の邸宅が左手の小高い場所に見えてきます。玄関には京都の建物にも時に観られるような屋根付きの車寄せが望めます。一つ一つの建物を紹介するには紙幅が足りませんが、少し歩くと小さな池の向こう側に複数の建物を雁行させた「臨春閣」が見えてきます。建物の一部は池に面しており、なんとなく桂離宮の建物を彷彿とさせるなあと思ったら、この三渓園は「東の桂離宮」と称されるという説明書がありました。

[caption id="attachment_6485" align="alignnone" width="300"] 雁行の臨春閣(東の桂離宮)[/caption][caption id="attachment_6481" align="alignnone" width="300"] 州浜と臨春閣(東の桂離宮)[/caption]

また、三重塔は室町時代に建立、木津川の燈明寺という廃寺から移築され、関東の木造建築では最古と言われております。そして七堂伽藍のお約束で寺ではほぼ配置が決まっていますが、この三重塔は小高い丘の頂上に移築されているので、この園のシンボリックな尖塔となっております。

[caption id="attachment_6490" align="alignnone" width="300"] 京より移築された三重塔[/caption]

そして、江戸後期以降に造られた日本庭園のお約束ですが、大池の周囲には桜が植えられていて、花見の季節には大賑わいになり、横浜の名店からの期間限定の出店もございます。例えば、シウマイの崎陽軒は3月23日と24日、香炉庵は崎陽軒と同じ日とその翌週の30日と31日も出ております。各地の桜の名所と違って、桜は染井吉野だけではなく創立者の故郷である岐阜にゆかりのある、薄墨桜、庄川桜、柳津高桑星桜と開花時期がそれぞれに異なる桜が植えられているので、比較的長い期間に亘って桜を楽しむことができます。

ところが今年は桜の開花が遅れていて、3月31日(日)に訪れた時には桜のどれも開花しておりませんでした。横浜の名店の出店は3月末日で終了しているので、観桜の客を宛にしていた各店はさぞかし残念なことだったろうなあと思ったのであります。

横浜には自分でカップのデザインを決めてトッピングも選択できるカップヌードルミュージアムや、事前予約するとあのNISSAN GTRを無料で公道を運転できる日産自動車本社、元町や中華街などの観光スポットが沢山ありますが、地下鉄の元町中華街の駅からバス15分、徒歩5分のここ三渓園は意外な穴場ですので、機会がありましたらご来臨ください。