12月8日は日本人にとっての真珠湾攻撃の日、時差があるので現地は12月7日が記念日となる。そして私は1日前の12月6日に現地を訪れ、式典用の大きなテントや数百人分の折り畳み椅子が並んでいるのを眺めて見学をスタートした。
さて、日本では数多くのハワイのガイドブックが発行されているが、パールハーバー国立記念公園(Pearl Harbor National Memorial)について、殆ど掲載がないのは、ホノルルの空港からワイキキとは逆方向であり周囲に立ち寄る観光地や商業施設がないことと、一般的な日本人にとっては関心の薄い場所なのであろうか。国際空港から約5kmで、しかもH1ハイウエイを利用するとすぐに到着できる。私は空港でレンタカーを借りるとトランクにスーツケースを放り込むとそのまま現地に乗り込んだ。
なお、真珠湾は入り組んだ湾であるが、その湾の中に軍の飛行場があるフォード島が浮かび、その島を望むオアフ島の対岸に駐車場とビジターセンター、沖縄沖で学童疎開船の対馬丸を撃沈した潜水艦Bowfin号とその博物館、真珠湾記念劇場と対岸の戦艦アリゾナへの渡船発着場、軽食と土産物売り場、対岸のフォード島の施設へ行くシャトルバスの停留場などが、300mX150mくらいの敷地に点在している。全てを見学すると丸一日かかるだろうから興味のあるところだけを選択されたい。
最初の注意点は、ショルダーバッグ、ポシェットの類の道込みは一切許可されていない点である。最近までの情報ではきちんと寸法まで書かれていてそれより小型なら持込可能と書かれているが、今は入口の係員からすぐ横の一時預け場を指さされてしまうのである。ハワイなので軽装だから、パスポート、財布、スマホ、ガイドブックや予約書類などをポケットにねじ込むことになる。さらにペットボトルなどの水だけは持込可能なのでいつでも片手は塞がることになり、不便で仕方がない。
前述のフォード島へは橋が架かっていて、それを渡るシャトルバスが運行しており、島のなかには軽食堂を持つ太平洋航空博物館、戦艦ミズーリがあって見学ができる。戦艦ミズーリは全長270mの巨大な戦艦であり、昭和20年9月2日に東京湾上で降伏文書に調印した船として知られている。また、映画「Battleship」で、その活躍を確認できる。
https://ussmissouri.org/jp/plan-your-visit
この公園内は施設毎に予約が可能であり出発前に予約しておくことをお勧めしたい。特に戦艦アリゾナは往復にフェリーを使い、記念館の収容人数が限定されているので事前予約を強くお勧めする。このアリゾナは日本軍九十七式攻撃機が投下した800kg爆弾が命中して、火薬庫が誘爆し1177名が亡くなり、一日半も燃え続けたという。今でも1000体を超える兵士が沈んだ鑑で眠っており、その上に建てられたアリゾナ記念館は慰霊の場であるので行動を慎めと注意書きがあった。
このアリゾナが撃沈されるシーンが出てくる映画には「トラ・トラ・トラ」や「パール・ハーバー」などがあり、いずれもAmazon Primeなどで視聴できるので事前に観ておくことをお勧めしたい。
私はミリオタ(ミリタリーオタク)ではないが、ハワイには数回の訪問歴があり、オアフ島内の観光地をほぼ行き尽くした感があったので、真珠湾記念公園を今回の訪問地に選んでみたのである。
さて、フォード島の太平洋航空博物館の入口を入った最初の展示物はゼロ戦21型であった。もちろん、初めて東京空襲を実施した爆撃機B17や、ゼロ戦にいつも負けていた戦闘機F4Fワイルドキャットなどの展示もあった。最も感銘を受けたのは、真珠湾攻撃が二段階になっていて第一波の航空母艦から真珠湾までの距離は420km以上あり、第二波も370kmもあったということである。東京からなら岩手県盛岡、西なら兵庫県神戸あたりの距離である。驚いて調べたら仕様書の航続距離は3000kmになっている。
開発担当の堀越技師は、軽量化のために開発されたばかりのアルミ合金を採用し、防弾装備を省略、操縦席の座席のクッションは操縦手の落下傘で代用する。さらに本体の下部に着脱できる増加燃料タンクを追加するなどして航続距離を稼いだのである。
ここに現地博物館の説明書きを少し引用してみよう。
「1942年から1943年にかけて、アメリカ海軍の飛行士には不利な状況が続いた。大日本帝国には世界で最も経験豊富な空母パイロットがおり、その中には何年も戦闘を続けてきたパイロットもいて、彼らは一流の航空機に乗っていた。三菱の零戦は軽く、軽快で、スピードがあり、信じられないような距離を飛ぶことができた。それに比べ、米海軍のグラマンF4Fワイルドキャットは遅く、重く、不器用だった。時代遅れのブリュースターF2Aバッファローはさらにひどかった。
どうすればワイルドキャットはゼロ戦と互角に渡り合い、勝利することができたのか?鍵は、遭遇戦の状況をコントロールすることだった。マウイ島中部のプウネネ海軍航空基地から飛んでいたタッハやオヘアのような経験豊富なパイロットは、ワイルドキャットの体力を最大限に引き出し、ゼロ戦の欠点を突く方法をフライヤーに教えた。」
ハワイの基地は、新人パイロットの教育センターでもあった。教育内容の中に、遠くに見える機影(飛行機の形)を観て、敵味方の判別、機種の断定方法があり、それは1機種毎に映画が作られていた。その映画のエンドマークに「Walt Disney」が出てきて驚いた。戦争というものはそういうことであることを再認識した。
ここの一連の展示物を観て気が付いたのは、どの説明も客観的に書かれていて敵とか味方という観点では捉えていないことである。遠く79年前の出来事を思い返しながら、先人の類い希なる努力に頭が下がったのである。(決して戦争を賛美しているのではないことを付記しておく)
真珠湾国立記念公園のサイトは